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寛永4年(1627)に現本堂の前身となる建物として、木造懸造の舞台をもつ二重屋根の瓦葺本堂が完成しますが、寛文3年(1663)の大火で境内の一部が被災、寛文8年(1668)には本堂再建の造営に福建省出身の帰化唐人、何高材が息子の兆普、兆有とともに着手しました。何高材の亡き妻は日本人であり、その供養のために再建に尽力したのではないかと言われています。兆普の時代に完成した本堂は花の絵様がちりばめられとても華やかなものでした。
その後、数百年の時を経て平成17年より5年の歳月をかけ行われたのが大規模な本堂の改修です。建物全体を解体し行われた修理では、調査検証も実施され長崎清水寺の本堂が非常に特徴のある建物であることが確認されました。中でも、周囲を開放する本堂の形や、仏堂を彩る絵様のモダンなデザインなど、伝統的な日本様式に最先端の中国様式の多くが織り交ぜられていることは他の仏堂には見られないものです。長崎清水寺の本堂をご覧いただき、長崎と中国をつなぐ悠久の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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